第7話 ツォルフェアアイン炭鉱業遺産群

 今は稼働していない「過去の現場」を訪問してきた。しかし、そこは今、ユネスコの世界遺産(文化遺産)として登録されている。

 ドイツ・ヴェストファーレン州エッセン。日本人にも馴染みの深いデュッセルドルフから車で30分ほど。緑豊かな地に突如、巨大な炭坑跡とコークス工場跡が出現する。


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 Pit12

 エッセンは誰もが中学時代に聞き覚えのあるルール工業地帯の代表的な産業都市。19世紀末から炭鉱の町として栄えていた。

 ツォルフェアアイン炭鉱(Zollverein Coal Mine)はデュースブルグ出身の企業家フランツ・ハニエル(Franz Haniel)が創業した。彼は製鉄のためのコークスを探し求め、この地の上質な石炭に着目。1851年に操業を開始し、製鉄業の繁栄と共に、大きく発展を遂げた。

 1937年には360万トンを産出。6,900人がここで仕事に従事していたという。

 ツォルフェアアイン炭鉱がさらに注目を浴びたのは、その「建築美」にあると言われている。「世界で最も美しい炭鉱」と評され、中でもバウハウス様式によってデザインされた2本の足を有する第12採掘坑(Pit12)は、建築上からも技術上からも傑作とされている。

7 エッセン6.jpgのサムネール画像
入手したパンフレット類


 実際に訪問してみると、Pit12の威風堂々とした佇まいは、操業を停止した今でも圧倒的な存在感であり、そのデザイン性の高さは産業施設とは思わせないほどだ。ドイツ人が誇りとするのは十分に理解できる。


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構内には運搬用の線路が敷設されている

栄枯盛衰。その後、欧州の鉄鋼業が衰退すると共に、コークスの需要も減少の一途を辿る。採炭は1986年に停止。コークス工場も1993年6月30日に惜しまれながら閉鎖された。

 ドイツ産業史において重要なこの地を、なんとか産業遺産として残そうとする動きが高まり、ツォルフェアアイン炭鉱跡地は2001年に世界遺産として認定された。エッセンも2010年、欧州文化都市に選ばれている。

 ドイツ国内には、ツォルフェアアイン炭鉱以外にも、産業遺産が世界遺産として登録されている。その代表例はフェルクリンゲン製鉄所跡地である。フランスとの国境に近いザールランド州の州都、ザールブリュッケンの近くにある。

 こちらは1881年に操業開始。ツォルフェアアイン炭鉱が採炭を停止した1986年に、同じく操業を停止した。世界遺産にはツォルフェアアイン炭鉱より前の1994年に認定されている。

 ツォルフェアアイン炭鉱跡地は「工場フェチ」にとってはたまらない場所である。設備は「ほぼそのまんま」残されており、間近で見ることができる。錆色に覆われているので、さすがに触る気はしないが、設備に興味のある技術者にとってはいつまでいても見飽き足りない場所なのだろうと思う。

7 エッセン2.jpgコークスを運ぶベルトコンベアー 

 日本だったら、安全を過度に気にして、限定した場所しか見せないところだが、ドイツではそうしたことには無頓着である。ほぼすべてを解放し、私でさえ「安全面は大丈夫か?」と心配するほどだ。

 延々と続く階段を登り切ると、屋上に出ることができる。そこからは炭鉱跡地全体が一望でき、緑豊かなエッセンの街を望むことができる。

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       屋上からの風景(1)                             屋上からの風景(2)

 今や、鉄鋼業においては中国が日の出の勢いである。世界の鉄鋼メーカー上位10社の内、5社は中国が占めている。中国には鉄鋼メーカーが500社乱立しており、その合併、再編がさらに進むと予想されている。

近い将来、ベスト10の内、7?8社は中国メーカーが占めることになるだろう。現時点では日本メーカーでは新日鉄が8位、JFEが9位に入っているが、早晩ベスト10からは姿を消す可能性が高い。

炭坑や工場をこうして遺産として残すことは立派な取り組みだし、日本も見習わなければならないが、現場はやはり「稼働してナンボ」である。

日本の製鉄所も近い将来、産業遺産と化してしまうのか。屋上でエッセンの風に吹かれながら、そんなことを考えていた。

訪問先

ツォルフェアアイン炭鉱業遺産群

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