長野県駒ヶ根市。中央アルプスと南アルプスに望む風光明媚なこの美しい町に、日本の中小企業経営のお手本となるような企業がある。
その名は天竜精機。
1959年に創立。創業50周年を迎えた。従業員数107名。現在はエレクトロニクス製品に使われるコネクターの自動組立機、加工専用機をメインにビジネスを展開している。「カム」と呼ばれる重要な駆動部分を自社設計する独自技術を持ち、ユーザーである大手電子部品メーカー、精密機器メーカーなどから圧倒的な信頼を獲得している。
天竜精機の強みは「一品一様」の専用品を設計製作する高い技術力だけではない。その「スピード」が命である。製作中であったコネクターのアッセンブリーラインの納期がわずか2ヶ月と聞き、仰天した。設計に要する時間はせいぜい2週間ほどだという。
変化の激しい時代において、「スピード」は顧客にとって最大の価値のひとつである。グローバルビジネスは「時間競争」(Time-Based Competition)の様相を益々濃くしている。「独自技術」だけでは勝てない。「独自技術」に「スピード」が加わることによって、真の優位性へと昇華する。
「スピード」を究めるためには、従業員ひとり一人の意識とやる気を高め、組織としての一体感、緊密な連係を確保することが不可欠である。天竜精機ではそのためのさまざまなユニークな工夫を施している。
天竜精機では来訪者に対する説明、案内を各部門の人たちが持ち回りで、順番に行う。私が訪問した時も、総務、営業技術、技術、資材管理、加工、組立、標準機グループと7つの部門をお邪魔してお話を伺ったが、それぞれの部門の担当者がその部門の概要、どんなことに取り組んでいるのかを説明してくれた。
総務では「心の底からの"咲顔"(えがお)を目指しています」、技術では「設計ミスが納期遅れにつながるので、"一線入魂"に取り組んでいます」など、皆さんが自分の言葉で話してくれた。
最も印象的だったのは、加工部門を説明してくれた女性社員の方。何台もの高度な機械を操るマルチスキルを持つ彼女が、自分の工程だけでなく、加工部門全体の工程を事細かに説明してくれた。ときたま私が的外れな質問をしても、きちんと答えてくれる。
そして私が「あなたの職場を見たい」と我がままを言って連れていってもらうと、自分がどのような加工をしているのかを説明してくれ、「よい製品ができると本当に嬉しい!」とはにかみながら話してくれた。日本の現場が誇る「ナレッジワーカー」を見つけて、私も嬉しくなった。
日本の現場は「コストセンター」ではない。価値を生み出す「バリューセンター」であると私は言い続けているが、そのためには現場のひとり一人がプライドを持ち、気分よく働ける環境を経営者や幹部は創造しなければならない。
日々、与えられた作業を「こなす」だけでなく、来訪者があれば自分たちで対応し、自分たちの言葉で説明する。そのためには準備や練習も必要だが、彼らにとってそれらはけっして「余計な仕事」ではない。自部門や自分の仕事が生み出す「価値」を人に語ることで、自分自身が再認識する場でもある。
天竜精機では、こうした来訪者に対する説明だけでなく、採用活動を若手にまかせる、手作りの「社史」を編纂するなど、自分の職務を超えるような責任を与えることで、視野を広げ、能力を高める工夫を行っている。それは会社や職場に対する帰属意識を高め、「やる気」の醸成につながっている。
創業者・芦部次郎氏のご子息で、今回の私の訪問を受け入れていただいた芦部喜一社長は就任した当初の頃のエピソードを教えてくれた。「当社の社屋の入り口に経営理念である"誠尽事為"(誠を尽くして事を為す)の額が掲げられている。社員面談の際に"これはどんな意味?"と問いかけても、はっきりしない返事ばかり。理念が壁にかけられたままで、自分自身の仕事に結びついていないと危機感を持った」。
その後、喜一社長は経営理念をより具体的な「行動指針」「ビジョンブック」に落とし込み、それを毎日毎日の「行動」で体現することに全員で取り組んできた。
喜一社長は、仕事と生産性の関係をこう看破する。「人は"乗り"が大切だと思う。気分よく働き、仕事そのものが面白いと思ったら、生産性は必ず高まる」。
さらに、現状の天竜精機の課題についてもこう本音を話してくれた。「人のマネジメントが"へたくそ"になっている。特に、このところ仕事に追われ、忙しくなり、上の人間が追い込まれている。上の人間がもっとリラックスして、"乗り"がよくなるような環境を作る工夫をしなくてはならない」。
天竜精機も今年の年初から受注が回復し、今ではフル操業が続いている。価格が下落傾向にあるので、収益的にはまだ厳しいが、現場では繁忙が続いている。
忙しくなると、どうしても余裕がなくなり、目先の仕事に追われ、コミュニケーションも粗野になりがちである。だからこそ、経営幹部や管理職は職場の"雰囲気作り"に気を払い、"乗り"がよくなる環境を作る努力を続けなければならない。
いただいた手作りの「社史」が実に素晴らしい。そのタイトルは「明日へのあしあと」。
けっして豪華とは言えない30数ページの軽印刷のものだが、金箔を貼ったこれ見よがしの社史と比べ、内容も言葉もはるかに温かみがある。奥付けを見ると、社史編纂プロジェクトメンバーとして6名の社員の名が列記されている。
創業の経緯、たった1台の機械で1億4千万円もの赤字を出したこと、資金繰りが苦しい時に地元の地銀の支店長が個人の裁量で貸してくれた700万円をいまだに返済せずに借り続けていることなど、数多くの「ストーリー」が心に沁みる。
そして単に過去を回想するだけでなく、明日へつなげようという思いがこの手作りの「社史」にはこめられている。「はじめに」に次のような記述がある。「今日、あなたが踏み出す一歩が"明日へのあしあと"になるのです」。
「社史」にも紹介されている「マル審」システム(実際には、丸の中に"審"の字が入ったものが使われている)は、天竜精機の大きな特徴のひとつである。これはお客様からの引き合いから納品までの主要なステップにおいて、各専門分野のエキスパートが必ず1名以上参画する会議を折々に開き、会社の総力を結集する仕組みのことである。
組織はどうしても機能の縦割りになってしまい、機能間連携がいつの間にか弱くなってしまう。これは大企業、中小企業関係がない。その結果、仕事は分断され、心のこもっていない「伝言ゲーム」が繰り広げられる。
そうした弊害をなくすための仕組みが「マル審」である。「社史」では「マル審」の導入によって、「受注の段階から、各部門の社員が関わることで、それぞれの機械に対する責任が生まれてきた」と紹介されている。
100人規模の会社だから以心伝心で通じると思ったら、大きな間違いである。W杯サッカーを見ても分かる通り、たった11人なのにまとまりのあるチームとそうでないチームが厳然と存在する。そして、それはチームのパフォーマンスに直結する。
「マル審」を始めた創業者である芦部次郎社長(当時)は、「"マル審"とは結果として天竜精機の体質改善を志向するものである」と述べている。「マル審」が当たり前のように行われるというのは、ひとつの組織能力であり、それ自体が優位性である。組織の「よい"くせ"」こそ、「体質」を表すバロメーターである。
「体格」ではなく、「体質」を誇り、磨き続けようとする天竜精機。伊奈谷の小さな企業に、日本企業の未来像を見た。