第18話 株式会社北嶋絞製作所

 大田区京浜島の工場地帯の一角に、高い技術と技能を誇る中小企業がある。その名は北嶋絞製作所。創業は昭和22年。60余年の歴史を誇る。

18 北嶋絞製作所6.jpg社屋全景

 間口は狭いが、奥行きの広い工場には絞旋盤やNC旋盤、スピニングマシーンなど数十台が稼働している。中には、大型の油圧深絞りプレスも設置されている。
 創業者である北嶋隆一氏が長野県の知人から譲り受けたモーターを、終戦後の混乱期にリュックで背負って持ち帰り、たった一台の絞りロクロを回し始めたのがこの会社の原点である。会社案内にその時のモーターの写真が載っているが、そのモーターには三菱電機の名番が貼られている。私は以前勤めていた三菱電機で産業用モーターを担当していたことがあり、私にとっても感慨深い写真である。

18 北嶋絞製作所7.jpg創業者が持ち帰ったモーター

 北嶋絞製作所は「へら絞り」と呼ばれる金属加工の会社である。一枚の金属板を「へら」と呼ばれる一本の棒を使って、手作業で加工する。「へら」にかける体重を微妙に調整しながら、まさに職人技で精密加工を行う。
 薄い板だと、機械加工ではどうしても皺が入ってしまうという。また、タングステンのような硬い金属だと、プレス機にかけるとガラスのように割れてしまうという。コンピューター制御の工作機械やプレス機では対応できない精密で繊細な製品の加工こそ、この会社の真骨頂である。
 北嶋絞製作所の「へら絞り」の技術・技能は日本一と評判が高い。以前には小泉元首相も訪問している。また、「週刊ダイヤモンド」(2004年4月17日号)の「キャノン御手洗社長が思わず唸った超中小企業10社」のひとつに上げられている。

18 北嶋絞製作所4.jpg「へら絞り」の加工

 その加工精度はミクロン単位。加工の際の手の感触や切削音、削りくずの形状など五感を駆使して、機械では対応できない特殊な加工作業を行う。北嶋絞製作所の独自価値は、この職人技である。ある雑誌のインタビューで北嶋實社長は、「へら絞りでは人間が最高のコンピューター」だと答えている。
18 北嶋絞製作所5.jpg加工された製品

 その高い技能はロケットなどの最先端分野にも活かされている。ロケットやミサイルの先端を保護するノーズコーンと呼ばれる円筒形の部品はここで加工している。他にも直径3.3メートルの大型パラボラアンテナから、鍋や鈴などの小物まであらゆる絞り加工を行っている。

18 北嶋絞製作所8.jpg大人数で取り組む「へら絞り」の大型加工

 これだけの精密加工を行っていながら、加工ミスがほとんどなく、仕損はほとんどないと聞いて驚いた。まさに「プロの集団」である。
 「今までで一番難しかったのはどんなものですか?」という私の質問に対する北嶋社長の答えは意外だった。それは薬の粉の量を測り、包装する分包機だったという。空気の微妙な流れの変化だけで飛び散ってしまうほど微粒の薬を、指定された量だけすべての分包に均一におさめる。一見シンプルな加工のようだが、実はきわめて難しい技術的なチャレンジだったという。
 「小さい子供に間違った量の薬を処方したら、大変なことになりますからね」。
技術者、技能者としての高いプライドを見た思いがした。
 従業員は20名。その内、加工を担当する職人は15名。平均の勤務年数は約30年。中には40年を超える経験を持つ職人もいる。

18 北嶋絞製作所3.jpg工場内の風景

 一人前になるまでには、最低10年はかかるという。マニュアルなどは一切ない。経験を積み重ねて、自分の体で覚えるしかない。
 こうした熟練の技が口コミで評判を呼び、「北嶋はどんなものでも作れる」という独自ブランドにまで高めてきた。事実、この会社では顧客からの難易度の高い依頼をことごとくクリア?し、名声を築いてきた。
 「欧州の技術も高い」と、北嶋社長は言う。しかし、こうも付け加える。「彼らはプライドが高くて、顧客の言うことはなかなか聞かない。私たちは自分たちの技術を伸ばすチャンスだと思って、どんな難題でもチャレンジしてきた」。
 これほどの高い技術を誇る北嶋絞製作所でも、不況の影は深刻である。リーマンショックで売り上げは3割減り、いまだに元に戻っていない。
 顧客数は年間200?300社と数が多い。下請け、孫請けの受注が多いが、あらゆる業界の仕事をこなしてきたので、ひとつの業界の波に左右されずになんとかやってこれたという。しかし、リーマンショック以降はどの業界も沈滞気味で、需要は上向いていない。
価格についても、これまでは「安売りする必要はない」と理不尽な値引き交渉には応じてこなかった。35?40%程度の粗利を確保してきたが、今では採算ギリギリの状態だという。
 見積もりを提出しても、なかなか決まらないことも多い。事業仕分けの影響で、「発注したいけど、予算がどうなるか分からないから、待ってほしい」というケースが増えているという。「2位じゃダメなんですか?」という志のない政治の影響をもろに受けている。
 北嶋社長は国内だけでは限界と感じ、海外に活路を見出そうとしている。5月に中国・大連での展示会に単独で初出展するという。
成長する中国での需要は間違いなくあるだろう。そうした需要を掘り起こし、中国においても「北嶋ブランド」を確立できるかどうか。資金力や販売・マーケティングのノウハウに乏しい中小企業にとっては、大きなチャレンジである。
 しかし、立ち止まっているわけにはいかない。日本の中小企業の力強さを再認識すると共に、中小企業といえども「海外で飯を食う」ことを真剣に考える局面を迎えていることを実感した訪問であった。







訪問先

北嶋絞製作所

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