第19話 株式会社マザーハウス マトリゴール工場(バングラデシュ)

 バングラデシュの首都・ダッカ。人口1500万人。地方からの人口流入が止まず、急激に肥大化するこの街の北東部にマザーハウスのマトリゴール工場がある。
 工場といっても、バスや自動車、三輪車、リキシャなどが行き交う大通りに面した4階建ての建物の中にある。多くの人がたむろっている建物の入り口の暗い階段を上がった4階のワンフロアーがマトリゴール工場である。
 マザーハウスは山口絵理子社長が2006年3月に設立。「途上国から世界に通用するブランドをつくる。」をミッションに掲げ、成長を続ける会社である。マトリゴール工場はその象徴ともいえる自社工場である。
19 マザーハウス2.jpg4階工場から見た大通りの風景

 この工場では、バングラデシュ特産のジュート(黄麻)を使ったバッグや小物を生産している。マザーハウスで販売しているバッグの約4割がこの工場で生産され、残りの6割は提携工場が担当している。マトリゴール工場の社員数は、現在36名である。女性は5~6名で、その多くは男性である。平均年齢は23~24歳ととても若い。
19 マザーハウス3.jpg毎朝の朝礼で全員集合

 日本の工場を見慣れた目で見ると、工場はお世辞にも綺麗とは言えない。整理整頓もまだまだ行き届いていない。天井から吊るされた扇風機は回っているが、空調設備があるわけではない。
 しかし、そこで働く社員の目は輝き、とてもイキイキしている。いやいや労働に従事するといった風はまったくなく、自分たちの仕事の意味を理解し、プライドを持って働いているのが伝わってくる。山口社長の思いが共有され、とても雰囲気のよい職場が生まれている。
 工場のフロアは、サンプルを試作するSample Section、素材を切断するCutting Section、そしてバッグに仕上げるTable Sectionに分かれている。通りに面し、陽射しが差し込む、一番広いTable Sectionは商品別に分かれた5つの"島"があり、窓側には数台のミシンが設置されている。
19 マザーハウス4.jpgTable Section

 この工場の生産規模は1500~1600個/月。SKUの数は120~130。「定番」商品はあるが、顧客に興味を持ってもらうためには、新しいデザインや素材を活かした新商品に常に挑戦し続けざるをえない。SKUの数はどうしても増えていく。
 同じ物を作り続ける方が、仕事は楽だし、品質は安定する。しかし、マトリゴール工場の社員は、新しい商品を作ることを楽しんでいるように見える。山口社長がデザインした新商品を、自分たちで創意工夫して、日本人が望む高い品質レベルの商品を供給しようと挑戦している。山口社長が思い描いている「自律する工場」に一歩一歩近づいている。
 「自律する工場」を実現するには、なんといっても人材の質が重要である。マトリゴール工場のマネージング・ディレクターであるモインさん、生産マージャーであるマムンさんは二人ともバランスのとれた、きわめて質の高い人材である。
 そして、この二人が中心となって、優秀な社員の確保に努めている。その主たる方法は、「口コミ」だという。モインさんは採用する際の基準として、「メンタリティ」と「経験」の二つを上げた。そして、「経験よりもメンタリティの方を重視する」と明言した。
 マザーハウスという会社の理念に共感し、その風土に合う人材でなければ、どんなに豊富な経験、素晴らしい技術を持った人間であろうが、採用しない。チームとしての結束、連帯こそがこの工場の最大の競争力である。
19 マザーハウス5.jpgCutting Section

 マトリゴール工場の社員の最低賃金は、4500タカ(約7500円)。昨年(2010年)、バングラデシュ政府は最低賃金を3000タカ(約5000円)に引き上げたが、その1.5倍である。
 しかも、マトリゴール工場では、毎日の昼食は会社負担である。毎食50~70タカ(約80~100円)程度だが、まだまだ低賃金のこの国では"フリーランチ"のベネフィットは大きい。午後8時以降の残業時にも、夕食が提供されるという。
 そうしたベネフィットを加えると、実質的には国が定めた最低賃金の2倍近い給与水準ということができる。付加価値の高い商品を生産することによってこそ、給与水準を上げることが可能となる。そして、それが国民の経済的自立へとつながっていく。
 モインさんに今後に向けての課題を聞くと、「ターゲットが欲しい(I need some target)」という答えが返ってきた。目先の仕事を忙しくこなすだけでなく、この工場をさらに発展させるためのビジョンや目標を示してほしいと言う。「夢が提示されれば、もっともっと頑張れる」というメッセージだ。実際、山口社長はダッカ郊外への新工場の移転を考えている。
 マトリゴール工場よりも規模の大きな工場は、バングラデシュにいくらでもある。しかし、経営者や幹部と社員たちがひとつにまとまり、知恵や創意工夫が次から次へと生まれてくるボトムアップの工場は、バングラデシュにはまだ存在しないだろう。マトリゴール工場はバングラデシュで「最も質の高い工場」になる大きな可能性を秘めている。
19 マザーハウス6.jpgSample Sectionで試作に励む山口社長

 マトリゴール工場を後にした私は、山口社長、マムンさんの案内で市内にある皮なめしの提携工場を訪問した(Chowdhury Leather & Co.)。皮なめしはバングラデシュの大切な輸出産業のひとつであり、約250社が乱立しているという。
19 マザーハウス7.jpg皮なめし提携工場でのマムンさんとのショット

 皮なめしの工程をひと通り見学させてもらったが、その工場内はとても暗く、作業環境はまったくというほど整備されていない。これがバングラデシュにおける一般的な工場であることを理解すると、マトリゴール工場の明るさや作業環境の相対的なよさが際立つ。
19 マザーハウス8.jpg皮なめし工場の内部

 皮の塗装をする機械の前に、マトリゴール工場から送り返されてきた皮が置かれていた。指定された色と異なる物が納入されたため、作業のやり直しのために返品されたという。
 いくら自社工場の能力を高めても、提携する外注企業の質が低いままでは、よいものづくりはできない。マトリゴール工場が品質にこだわり、口うるさいと思われるほど提携工場を指導することが、バングラデシュの産業全体の底上げにもつながっていく。マトリゴール工場は小さな工場だが、発展を目指すバングラデシュにおいてその影響はけっして小さくない。
 バングラデシュは電気や物流といったインフラの整備が遅れている。その背景には、不安定な政治がある。いくら働き者の国民がいても、インフラや政治が安定しなくては、海外からの工場誘致の拡大は難しい。
 そうした国だからこそ、マザーハウスの存在価値があり、先駆的な努力が光る。制約が高ければ高いほど、人も組織も強くなる。志が支える、小さな大企業である。
 








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株式会社マザーハウス マトリゴール工場

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