第39話 鶴岡市立加茂水族館

 久しぶりに心躍る現場に出会った。山形県鶴岡市にある鶴岡市立加茂水族館である。「クラゲの水族館」として有名になり、オワンクラゲの研究でノーベル化学賞を受賞された下村脩博士が2010年に訪館されたことで、全国的な話題となった。

39加茂水族館0.jpg加茂水族館入口


 私も以前、国内線の機内誌でこの水族館の特集を見て、「こんな面白い水族館があるんだ!」と興味を持ったが、肝心の水族館の名前を失念していた。今回、講演のために鶴岡を訪問する機会があり、講演を主催していただいた方が「クラゲの水族館に行きますか?」と声をかけていただき、訪問が実現した。
 72歳の村上龍男館長からお話を伺った。その中身の面白いこと!唸るやら、感動するやら、笑うやら・・・。加茂水族館のリアル・エピソードと村上館長の話術とお人柄に魅せられてしまった。そして、この水族館こそ、多くの悩める中小企業にとってのお手本であり、日本の誇る「現場力」の実践事例であると認識した。

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       全景                        村上館長


 加茂水族館の歴史は古い。「山形県水族館」として創設されたのは、なんと1930年。今から80年以上も前のことである。
 現在の地に移転し、新築オープンしたのは、1964年。ここから数えても48年の歴史を誇る。村上館長は1967年に館長に就任されたので、実に館長歴45年である。
 1964年に新築オープンした際は、鶴岡市立であったが、村上館長が館長に就任した1967年に民間企業が経営に参画。株式会社庄内観光公社が運営母体となった。
 クラゲ人気が出始めた2002年に、鶴岡市が再度買い取り、鶴岡市立加茂水族館となった。現在の運営母体は鶴岡市開発公社である。
 村上館長はこの水族館のことを、「"老朽・弱小・貧乏"と3拍子そろった水族館」と揶揄する。確かに、規模は小さく、設備もお世辞にも立派とは言えない。
 全国に約70もの水族館があるが、その中で最も小さく、老朽化した水族館が、この加茂水族館である。「アシカショー」用のステージはあるが、都心の人気水族館のような多様な水生生物が遊泳する巨大水槽があるわけではない。言葉は悪いが、見た目は「田舎の寂れた水族館」である。

39加茂水族館2.jpgアシカショーのステージ


 この水族館を「全国区」に押し上げたのは、まぎれもなく「クラゲ」である。今では、35種類以上のクラゲを常時展示する、世界一のクラゲ水族館である。公募で名付けられたクラゲの展示施設「クラネタリウム」は、手づくり感満載だが、他の水族館では味わえない感動と驚きに充ちている。

39加茂水族館3.jpgクラネタリウム

 面白いのは、「助けの神」となったクラゲとの出会いが、実は偶然だったということ。1990年代後半、この水族館は経営の危機に瀕していた。1967年のオープン当初、約21万人だった入館者数は、1997年に10万人を割り、その後ずっと9万人台と低迷を続けていた。村上館長は「倒産も覚悟していた」と本音を語ってくれた。
 そんな時、サンゴの水槽から白い泡のようなものが湧き立つのを発見した。館長いわく、「クラゲが勝手に湧いてきた」。最初はそれが何かも分からなかったが、実はクラゲのポリープ(卵)だった。餌を与えてみると、クラゲの幼生・プラヌラになり、そして2ヶ月後に3cmほどのクラゲになったという。「これはいけるかも・・・」と直感的に思い、何の根拠もなかったが、クラゲの展示を徐々に増やしていった。

39加茂水族館4.jpg39加茂水族館5.jpg
39加茂水族館6.jpg  様々なクラゲの展示

 すると、来館者もクラゲを見て、楽しそうに喜んでいる。当時は、循環式の水槽がなかったので、手で水をかき回した。そうするとクラゲが泳いでいるように見えるので、来館者は大喜びだった。
「正直、苦し紛れに始めたが、徐々に手応えを感じ始めていった」と村上館長は振り返る。それが1997年から1999年にかけてであった。
 しかし、クラゲ飼育のノウハウもなければ、館長が「貧乏のドン底」と振り返るほど、お金がなかった。クラゲのポリープは肉眼では確認できないほど小さい。どうしても顕微鏡が必要なのだが、買うことができなかった。
 また、偶然出会ったクラゲだが、実は飼育は容易ではなかった。クラゲが次から次に死んでいくが、その理由さえ分からなかった。まさに、徒手空拳でクラゲの飼育・繁殖に挑んでいった。
 その努力は涙ぐましい。職員総出で、海に出て、クラゲを採集する。クラゲの飼育には循環式水槽や恒温箱が不可欠だが、お金がないので、自分たちで手探りで設計したり、作ったりした。金も人もノウハウもなかったが、自分たちの知恵と努力だけでやってきたのだ。
 2000年には、クラゲ展示数が11?12種類となり、日本一になった。クラゲと偶然出会い、クラゲにのめり込んでいった"張本人"である奥泉和也副館長が中心となり、繁殖に心血を注いだ。キタミズクラゲの累代繁殖で、日本動物園水族館協会の「繁殖賞」も受賞した。2003年、繁殖室は「鶴岡市クラゲ研究所」と命名された。

39加茂水族館7.jpg「クラゲ研究所」内部


 そして、2005年、加茂水族館のクラゲ展示数は20種となり、世界一となった。東北の小さな水族館が、10年近い歳月をクラゲに捧げ、とうとう世界一となったのである。
 加茂水族館では、クラゲに関する教育にも力を注いでいる。小学生以上を対象にした「クラゲ学習会」や海岸でクラゲを採集し、顕微鏡で観察する「クラゲ採集観察会」などを実施し、地元で大人気だ。
 アイデアマンの村上館長は、クラゲと食を結びつけ、様々なアイデア食品を生み出しては、話題を提供している。2003年に「クラゲアイスクリーム」を販売。年に1千万円を売るヒット商品となっている。
 それ以外にも、「クラゲ入り羊羹」「クラゲ入り饅頭」「クラゲラーメン」などが登場。2006年には、『クラゲレストラン』をオープンさせた。私も「クラゲラーメン」と「クラゲアイスクリーム」を食したが、塩味の「クラゲラーメン」はまた食べたくなるほどの味だった。

39加茂水族館8.jpgクラゲラーメン

 こうした地道で多彩な努力が実り、1999年に10万人を割った入館者数は徐々に回復。2003年は13万2千人、2005年は17万4千人、そして下村脩博士を迎えた2009年には22万人を突破。オープン以来の過去最高を更新した。
 加茂水族館では、待望久しい新水族館の建設が予定されている。2012年10月着工で、オープンは2014年の予定である。3階建てで、延床面積は3636平米。現在の約2倍の規模となる。
 総工費は20数億円。福島水族館150億円、新潟水族館100億円、男鹿水族館70億円という規模と比べると小粒だが、閉館一歩手前だった水族館からすれば、「自分たちの手で勝ち取った」新館建設である。
 そのコンセプトは、「加茂の海に浮かぶ水族館」。直径5mの円形水槽を設置したクラゲシアターも新設される。
 新水族館はとても楽しみだが、風雪を耐え忍んできた現在の加茂水族館には、なんとも言えない味わいがある。手づくり感満載の現在の加茂水族館にこそ、行っておくべきかもしれない。
 村上館長は45年間の館長生活を、こう振り返る。「長い間、みじめな時が続いた。いつか見ていろと思っていたが、何やってもうまくいかなかった。そんな時に、"クラゲの姿をした神様"が現れて、救ってくれた。何をやっても駄目だったあのドン底で、クラゲだけが"希望の光"を与えてくれた」。
 まさに、クラゲは「救世主」であった。しかし、それだけでこの水族館の成功は語れない。そのワンチャンスをものにするだけの、知恵と努力と矜持がこの水族館にはあった。それこそが日本の誇る「現場力」である。
 そして、村上館長はさらに「成功のポイント」を冷静に分析する。「私たちがクラゲに命運を賭けた1990年代後半から2000年代前半は、この水族館はまだ民間の経営だった。だから、"経営の自由度"が高かった。それが、この水族館が存続できているもうひとつの理由」。
 これはきわめて大切な指摘である。「現場力」は、現場に相応の裁量権が与えられ、それなりの自由度があってこそ生まれるものである。現場の自発性や自律性は、管理からはけっして生まれてこない。
 鶴岡市営という「官」の経営となり、以前とは注目度も異なる現在の加茂水族館は、確かに自由気儘な経営というわけにはいかないのだろう。様々なステークホールダ―も存在する。しかし、加茂水族館がこれからも進化を遂げるためには、その「現場力」を活かすための「経営の自由度」はますます不可欠な要素と言える。









訪問先

鶴岡市立加茂水族館

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