第41話 旧鹿児島紡績所技師館

 言うまでもなく、鹿児島は幕末・維新期の歴史の宝庫である。西郷隆盛、大久保利通など薩摩が輩出した偉人たちの足跡を辿る人たちは後を絶えない。九州新幹線の開通で、その人気に拍車がかかっている。
 数多くの名所・旧跡がある中で、私が最も心動かされたのは、別名「異人館」と呼ばれる洋館である。島津家の別邸として名高い仙巌園から歩いてすぐのところにある、コロニアル調の2階建ての建物である。
41 旧鹿児島紡績所技師館1.jpg異人館全景

 仙巌園は次から次へと観光バスが到着し、多くの観光客で賑わっているが、この洋館はその陰でひっそりと佇んでいる。国の重要文化財として認定されているにも関わらず、私が乗ったタクシーの運転手も「そんなのあったかなー?」と、無線で確認する始末。そういう私も、鹿児島への出張が決まり、鹿児島のことを調べている中でその存在を知ったので、大きなことは言えない。
 しかし、訪ねてみて分かったのは、ここが日本の近代産業の原点とも言える場所だということであった。その歴史・変遷は実に興味深い。


41 旧鹿児島紡績所技師館2.jpg
異人館横からの姿

 この洋館の正式名称は、「旧鹿児島紡績所技師館」。今から約150年前の慶応3年(1867年)に創業された日本初の洋式紡績工場・鹿児島紡績所への指導に来日した英国人技師たちのための宿舎として建設されたのが、この建物なのである。
 異人館の外観は実に美しい。この建物だけでも一見の価値はある。維新の時代にこんな洋館が存在したこと自体が驚きである。
 木造、2階建て。築面積は約343平米。広くゆったりした廊下には、幕末の空気が漂っている気さえする。

41 旧鹿児島紡績所技師館3.jpg広い廊下

 興味深いのは、この洋館が建てられた背景である。生麦事件に端を発する薩英戦争が勃発したのは、1863年のこと。そのわずか2年後の1865年に、薩摩藩第29代当主・島津忠義は戦を交えた英国に14名の留学生を送り込んだ。
 その目的は、近代的な紡績工場建設のための勉強であり、紡績機械の購入であった。薩英戦争で西洋の文明の力を目の当たりにした「島津のお殿様」は、外から学び、産業振興をすることが大切だと認識したのである。その先見性や開かれた心が日本を近代国家へと導いた。
 薩長同盟が結ばれた翌1866年に紡績工場の建設が始まり、1867年5月に日本初の近代工場、鹿児島紡績所は操業を開始した。薩英戦争からわずか4年後のことだった。
 異人館は紡績所に隣接した場所に、紡績所開業の前年である1866年に建設された。この年に司長であるイー・ホームら4名の英国人技師が来日、その翌年に工務長となったジョン・テットロウら3名が来日している。彼らの住まいとなったのが、この洋館であった。
 資料によると、英国人技師たちとの契約は、雇用期間2年、給料年額洋銀5000枚、往復の船賃及び住宅費は薩摩藩の負担となっている。洋銀5000枚がどのくらいの価値があるのか分からないが、たとえその金銭的見返りは大きいにしても、家族のもとを離れ、長年鎖国していた「極東の野蛮国」に乗り込んできた英国人技師の志の高さ、好奇心の大きさに感慨を覚える。
 創業当時の紡績所は、男女200名の職工が1日10時間働き、白木綿や縞類を織っていたと言う。その商品は大阪など薩摩以外の地でも販売された。
 しかし、当時の日本はまさに幕末の動乱期。渡来してきた志高き英国人技師たちも、大きな身の不安を感じ、契約期間の終了を待たずに、1年で帰英することになった。1868年、まさに江戸城が無血開城された明治元年のことであった。
 その後、紡績所は日本人だけで運営されたが、けっして順調とはいかなかった。西南戦争の時は、操業を中止。そして、紡績所の建設を推進した島津忠義が亡くなった1897年、紡績所は静かに幕を閉じた。操業開始から30年後のことであった。
 その一方で、異人館はさらに数奇な運命を辿る。西南戦争の際には、薩軍負傷兵の仮病院として使われた。明治15年には、鶴丸城の本丸跡に移築され、鹿児島学校などの教官室として使用された。
 昭和に入り、旧紡績所があった現在の地に再び戻され、戦後は進駐軍の宿舎として接収された。異人館が日本側に返還されたのは、昭和26年のことであった。
 私以外に見学者がいない中で、小1時間を過ごした。帰りがけに、入館券を販売している受付の男性に声を掛けられた。
 「どこから来られた?」
 「東京からです」と答えると、今はなき紡績所がどのあたりにあったとか、異人館の裏側に台所や浴室、トイレなどを備えた別棟があったなどと教えてくれた。確かに、異人館の中には、台所や浴室らしきものはなかった。
 小さな建物だが、ここには、日本の近代史、産業史が詰まっている。静謐の空気の中で、歴史に思いを馳せるのも一興である。
 




訪問先

旧鹿児島紡績所技師館

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