しかし、業績ははかばかしいものではなかった。リーマンショックの影響を受け、2008年度は赤字に転落。その年に就任した栗原権右衛門社長は、退路を断った構造改革を断行してきた。
社長に就任して約4年、私が前回訪問してから約2年。日本電子はどう変わったのか?大きな興味を持って、昭島の本社を訪ねた。
栗原社長は終始にこやかだった。業績回復という面ではまだその途上にあるが、ビジネスの現場では確かな手応えを感じ始めている。この手応えが続けば、近いうちに必ず業績にもはね返ってくるはずである。
その手応えを象徴するのが、同社のフラッグシップである世界最高峰の電子顕微鏡JEM-ARM200Fの受注拡大である。物質の最小単位である原子を直視できるこの顕微鏡は、単体で3億円近い価格である。
この製品は最大のライバルのひとつである米国FEI社が世界最高峰の電子顕微鏡TITANを開発したのに対抗し、「打倒TITAN」を合言葉にJEOLの総力を結集して開発した製品である。素人にはよく理解できないが、その走査透過像は世界最高の0.08nmだそうである。
ARM200Fのこれまでの受注は年に10台ほどだったが、昨年以降海外を中心に急増。これまでの3倍近い受注が舞い込んでいる。
これまでの海外の納入先は主に欧米が中心であったが、現在はアジア。韓国のサムソンや台湾のTSMC、中国の上海交通大学などのトップクラスの大学、シンガポール政府、インドなど、成長する経済力を背景に科学振興に力を入れている国々がJEOLの電子顕微鏡を欲しているのだ。
栗原社長とARM200Fのアフターサービスの研修を行っているところを見学した。同社のシンガポールに勤務するフィリピン人の女性が、約3ヶ月間日本に滞在し、この製品の使用方法やメンテナンスに関する指導ができるようトレーニングを受けていた。彼女はシンガポールのみならず、東南アジア各国やインドを飛び回り、現地指導する役割を担うと言う。
ARM200Fは製品単体だけでなく、設置するラボの設計や部材なども販売するソリューションビジネスを指向している。これだけ高い精度の顕微鏡だから、風量や湿度などの設置環境がきわめて重要である。そうしたノウハウもJEOLの"売り"であり、高収益の源泉でもある。
フラッグシップ製品の好調さは、他のビジネスにも好影響を与える。次に栗原社長が紹介してくれたのは、JCM-6000という汎用電子顕微鏡である。卓上走査電子顕微鏡と呼ばれるもので、光学顕微鏡より高い倍率で、手軽に観察したいというニーズに応えたものである。価格は1台500?600万円。
JCM-6000
その最新モデルがJCM-6000である。そのカタログを見て、私は驚いた。とても顕微鏡には見えない、斬新で洒落たデザインだったからである。
製品をコンパクトにするだけでなく、顕微鏡と分析機を一体化し、さらにはこれまでの顕微鏡の概念を覆す斬新なデザインが施されている。その外観はお洒落な家電製品のようである。
そのデザインを担当したのは、KEN OKUYAMA DESIGN。「イタリア人以外で初めてフェラーリをデザインした男」として有名なインダストリアル・デザイナー、奥山清行氏率いるデザイン集団である。KEN OKUYAMAを顕微鏡のデザインに起用するという発想自体が、もう差別化されている。
しかも、この製品はタッチパネルで操作する。まるでスマホを使うような感覚で、映像を拡大したりして使うことができる。顕微鏡としての性能だけでなく、操作性やデザイン性が加味された新次元の顕微鏡と言える。
JCM-6000は2012年4月に発売されたばかり。販売目標は年間300台と設定しているが、評判は上々で、引き合いが後を絶たないと言う。
その後、栗原社長が見せてくれたのは、「JEOL TIMES」という手作りの社内向けニュースレターである。この4月に創刊号が出され、月に1回発行されている。
この手作り感満載の「社内新聞」の出来が素晴らしい。社員が社員にインタビューする形で、ARM200FやJCM-6000の開発秘話が紹介されていたり、海外駐在員からの現場感ある便りが寄せられている。社員が書いた4コマ漫画や自社の株価の推移も掲載されている。会社のことが「分かる」だけでなく、「好きになる」要素が満載である。
これは社内の部門横断的な委員会のひとつの分科会(KF委員会めっちゃ知りたがりーな分科会)が、自主的に刊行しているものである。「自分たちの会社のことをもっと知ろう」「他の部門や人たちが何をしているのかもっと関心を持とう」「自分たちの会社の凄いところにもっと誇りを持とう」。制作者の意識と熱意がとてもよく伝わってくる。
日本電子は間違いなく変わりつつある。それは単に売り上げが増えたり、業績がよくなることだけではない。これまでにはないデザインの製品が開発されたり、社員たち自らが手作りの「社内新聞」を刊行したりという、会社の「体質」が大きく改善されているのだ。そして、「体質」のよい会社は、間違いなく結果を生み出す。
日本電子は構造改革の前半で、大きな痛みを伴う改革を断行した。リストラによって固定費にメスを入れたり、関係会社を本社へ統合するなどの組織再編を行った。
それらは日本電子が長年抱えていた「弱み」であった。「弱み」をそのまま放置したままでは、企業の再生はありえない。「弱み」を真正面から見据え、たとえ大きな痛みを伴おうが、その「弱み」を克服しなければ、どんな「強み」も活きてこない。
逆に、「弱み」が克服できれば、自社の「強み」がより一層活きてくる。日本電子はそのお手本を示してくれている。