山形県鶴岡市に高い技術力を誇り、愚直でユニークな経営方針を貫く会社がある。真空容器・装置・部品を製作する秋山鉄工である。
大正11年創業の老舗メーカーである。2012年9月6日に90周年を迎えた。鶴岡市内に2つの工場を持つ。社員数は約60名。平均年齢は42歳。
本社工場外観
創業当社は農機具の販売を生業としていた。やがて、農機具の製造に乗り出し、秋山農機として発展。工場の一角には復元された秋山式動力耕運機が置かれていて、往時を偲ばせる。
やがて、真空関連の製品へとシフトを進め、現在はほぼ「真空専業」メーカーとして、知る人ぞ知る存在になっている。つくるものは変わっても、他の会社ではつくれないしっかりしたものをつくるという理念にブレはない。
鶴岡市日本国にある日本国工場で3代目である秋山周三社長に出迎えていただき、工場を見学させていただいた。「日本国」というのは正式な地名であり、工場の建屋には「ここは鶴岡市日本国です」と大きく表示されている。工場事務所の入口には「日本国入国管理事務所」の札が掲げられている。秋山社長の「遊び心」が随所に散りばめられている。
訪問した時、工場に人影はまばらだった。タイの洪水絡みの特需が数週間前に終わり、今は閑散期だと言う。
日本国工場外観
「日本国入国管理事務所」の札
訪問した時、工場に人影はまばらだった。タイの洪水絡みの特需が数週間前に終わり、今は閑散期だと言う。
一品一葉の受注生産がほとんどであり、需要変動の波は大きい。しかも、モノづくりの空洞化が進み、需要そのものの減少に歯止めがかからない。過去にも1年近く大きな仕事がなかったことが何度かあったという。
しかし、秋山社長は「それでも、ここで踏ん張る」と言う。「この会社がなくなるかもしれないという不安は常にあるが、きっとまた流れが変わるとも思っている。鶴岡で立ち枯れてもいい」と覚悟を語ってくれた。
過去に「中国に行かないか?」という誘いもあった。しかし、他のメーカーが中国に進出し、選りすぐりの人材を現地に送り込んでもうまくいっていない例を数多く見て、日本でのモノづくりにこだわることを決めている。
「国民性や人間性はそう簡単には変わらない。中国が苦手なことは何かを考え、自分たちの得意なことに専念すれば、必ず生き残れる」と教えてくれた。安易な海外進出への警鐘である。
秋山鉄工のキーテクノロジーは溶接技術である。真空容器をひずまないように金属と対話をしながら溶接する職人技はロボットでは真似ができない。溶接技術者は12名ほど。高校出たての新人から60歳代のベテランまで、技能伝承に取り組んでいる。
秋山鉄工では部材加工も自社で行っている。そのための旋盤やフライス盤などが10台以上並んでいる。部材を自ら切断し、加工するという内作にこだわっている。安易な外注化が自社技術を衰退させると考えているからである。
だから、日本の大手メーカーには手厳しい。「メーカーとは名ばかりで、つくれない大手メーカーが増えている」とズバリ指摘する。日本の大手メーカーが勝ち残るには、真に差別化された技術を持つ秋山鉄工のような中堅・中小メーカーが生命線であるのは間違いない。
隣の建屋で、完成目前の連続式真空薄膜形成装置の組み立てを見ることができた。これは薄膜をつくる機械で、思った以上に大きい。しかし、その細部には秋山鉄工ならではの技術とこだわりが凝縮されている。「工業製品というよりは"工芸品"に近い」という謳い文句を実感することができた。
組み立て中の連続式真空薄膜形成装置
塗装する前の装置を見れば、どこがつくったかが分かると言う。秋山鉄工製は細部にまでこだわり、どことなく品がいい。「外見は精度と比例する」と言う。「秋山鉄工ファン」が日本中にいるのが頷ける。
設計図は発注メーカーから出されてくるが、時に秋山鉄工の製作現場で変えることもあるという。実際に製作している過程で、「こっちの方がいい」と判断した時には臨機応変に変える。
しかし、発注メーカーはその違いに気付かないし、図面にもその変更は残さない。もし設計図を他のメーカーに出して、つくらせても、秋山鉄工と同じものはつくれない。これこそ秋山鉄工の真骨頂である。
本社工場に移動し、秋山鉄工の取り組みなどについてお話を伺った。会議室でお茶が出されたが、和紙でつくられたそのコースターには来訪者それぞれの氏名とその人にまつわる一言が書かれている。たとえば、私のコースターには「現場力探求の元祖、本家、家元 遠藤功様専用コースター」と書かれている。ちょっとした気遣いが嬉しい。
氏名と一言が書かれた和紙の コースター
秋山鉄工ではこうした「小さなこと」をとても大切にしている。「自分の身の周り数メートルでやれることをしっかりとやる」というのが、秋山鉄工流の人間性教育である。
会社のパンフレットには、「私たちの主な営業品目」として、「ありがとう、おかげさま、そうじをする、あいさつをする、はきものをそろえる」と記載されている。「ひとづくり」に賭ける情熱、エネルギーは半端ではない。
会社案内表紙
その典型例が、本社工場が立地する工業団地内の草刈りである。3年前には草ぼうぼうだった工業団地を、管理組合の理事長でもある秋山社長ひとりで草刈りを始めた。半年で数百時間もの時間を使ったと言う。
その姿を社員や他の企業が見て、工業団地の草刈りや清掃が大きな流れになっていった。本社工場の入口横には、草刈り用の備品類が見事に整理された「秘密基地」が設置されている。
秋山社長はこう語る。「言ったって、動かない。でも、こちらが動いたら変わる」。率先垂範。人間性教育は綺麗事ではできない。
だから、人の採用にはことのほか慎重である。この2年で3人の高卒を採用したが、採用にあたっては「家庭訪問」を実施して、親に会いに行く。3ヶ月の見習い期間が終わり、正式採用になる時には、親を会社に呼ぶと言う。そして、新卒者には給与を現金で支給し、「あなたが封を切ってはいけない。親に全部渡せ」と伝える。
今の時代に、時代遅れと感じるかもしれない。しかし、たとえ世の中が変わろうが、変えてはいけないものはけっして変えない。頑固一徹を貫いている。実際、秋山鉄工をやめる社員はほとんどいない。
秋山鉄工を取り巻く環境が厳しいのは言うまでもない。しかし、これまでも幾多の苦難を乗り越えて90年やってきた。90年という歴史はけっして偶然の結果ではない。
秋山社長はこう語る。「いつ終わるか分からない長い夏休みかもしれない。でも下手に動くと、安い注文、難しい注文ばかりがくる。こういう時は下手に動かないことも大切だ」。自社の技術、人材に自信があるからこその言葉である。
モノづくりというと、とかく巨大メーカーの動向ばかりに目が行く。しかし、日本のモノづくりを根っこで支えているのは、秋山鉄工のような独自技術と人間性教育に磨きをかける中堅・中小企業である。
技術と人間に対する愚直なこだわりと社長の「遊び心」があるからこそ、秋山鉄工の「次の90年」への道は続いているのだ。