第39話で取り上げた人気の加茂水族館を再訪してきた。訪問したのは日曜の朝一番。開館前にも関わらず、入口の前には既に人だかり。駐車場にも車が次々に入ってくる。ナンバープレートを見ると、地元山形よりも、秋田、福島、宮城など近県からの車が多い。
1997年には来館者数が年間9万人まで落ち込み、倒産状態にあったこの水族館の今年の来館者数は27万人を超える勢い。なんと3倍に達しようとしている。
訪れる人が途絶えない
加茂水族館の歴史、取り組みについては第39話(http://gemba-sembonknock.com/2012/04/04/0900.html)を参照していただくとして、今回は「奇跡の再生」に導いた村上龍男館長から伺ったお話を中心に紹介したい。この水族館の再生・復活は村上館長の生き様そのものでもある。
村上館長は「どうしようもないもの、価値のなくなったものをもう一度価値あるものにすることこそ男の仕事だ」と断言する。新しいものをゼロからつくり上げるのも立派な仕事だが、新たな「創造」はしがらみがない分だけ取り組みやすいとも言える。
それと比べると、「再生」はマイナスからのスタートである。どん底まで落ち込み、そこから這い上がってくるために必要なエネルギーは、「創造」の比ではない。誰もが放り出し、諦めてしまったものに情熱を注ぎ、蘇らせるのは、中途半端な覚悟でできることではない。
村上館長は「泥舟だろうが、船長だから飛び降りるわけにはいかなかった」と振り返る。再生に苦労、我慢、失敗は付き物だ。しかし、逆境をバネにできなければ、再生は果たせない。
今の日本には再生させなければならないものが山ほどある。低迷する企業もそうだし、過疎化、高齢化が進む町や村も同様である。再生には創造を超えるエネルギーが必要であることを私たちはもっと自覚しなければならない。だからこそ、それを成し遂げた加茂水族館は尊敬に値するのだ。
クラゲと出会い、それからは一見順調に来館者数を伸ばしてきたように見える加茂水族館だが、どん底からの再生に向かう最初の数年間はけっして大きく伸長したわけではない。
毎年数千人ずつ来館者が増えたにすぎない。しかし、この「小さな成功」がとても大切だった。「1年間でたった2千人だけど、自分たちの力で増やすことができた。ものすごく嬉しかった」と村上館長は教えてくれた。
真っ暗闇の状況の中で、救世主のように現われたクラゲ。それだけを頼りに、自分たちでできることはすべてやり切る。それが年間2千人の来客増に結びついた。たとえ小さな光でも、それさえあれば現場は踏ん張ることができる。
「大きな奇跡」が突然起きることはない。たくさんの「小さな奇跡」が積み上がった結果が「大きな奇跡」だ。2千人増という「小さな奇跡」こそが、加茂水族館再生の足音だった。
実は、クラゲというのはけっして簡単な生き物ではない。その生態もまだまだ分からないことが多く、飼育、繁殖は容易ではない。
寿命が4ヶ月と短く、これもクラゲの展示を難しいものにしている。繁殖させるノウハウ、技術がなければ、継続的展示は困難だ。他の水族館がクラゲに手を出さない、出せないのはそれなりに理由がある。
稚クラゲを繁殖・育成している水槽
難しいからこそ、加茂水族館はクラゲにのめり込んでいった。新しいこと、誰もやっていないことだからこそ、やる価値があると考えたのだ。
他の多くの水族館は、似たような展示に終始している。同じようなものであれば、一番大きな水族館に行けばそれで済んでしまう。開館当初は人気を博した秋田の男鹿水族館は、その後来館者が急速に減少していると言う。
しかし、その秋田からわざわざ加茂水族館に来る人が増えている。同じものでは価値がない。「まったく違うものをつくれば、たとえ競争が熾烈でも怖くはない」と村上館長は自信を見せる。差別化は経営の原点である。
クラゲにのめり込む現場力によって、加茂水族館は小さな手応えを感じ始めていた。しかし、村上館長はそれだけでは満足しない。さらなるステップアップのために知恵を絞った。それは「話題作り」である。
偶然クラゲと出会い、クラゲをこの水族館の屋台骨にすることは決まった。しかし、それだけでは大きな話題にはならない。「人が知らなければ、それは存在しないのと一緒」と村上館長は言い切る。
どうすればメディアが飛びついてくれるような話題を提供することができるか?村上館長はアイデアを絞り、次々に実践していった。
一番の目玉は「クラゲを食べる」。クラゲを使った定食やクラゲアイスを開始。さらには、クラゲ入り饅頭やクラゲ入り羊羹を土産として販売し、話題をつくり、各種メディアに熱心に告知した。
ノーベル賞受賞者である下村脩先生の来館も大きな話題となった。クラゲ展示日本一、世界一への挑戦、さらにはギネス登録もこの小さな水族館を世に知らしめるための話題づくりであった。
クラゲの飼育、繁殖、展示は現場の使命である。しかし、それだけでは水族館の経営は成り立たない。経営的に成り立たなければ、研究を継続することもできない。
村上館長の果たしてきた役割は、まさに「プロデューサー」である。加茂水族館の目玉をつくり、それにまつわる話題を次々に提供し、多くの人が集まる人気水族館に仕立て上げる。クラゲにのめり込む現場力と館長のプロデュース力が相まってこの水族館が全国区になったのは間違いない。
人気の水族館になる一方で、加茂水族館はそのクラゲの繁殖が高く評価され、2007年に古賀賞を受賞した。これは動物園・水族館における繁殖の向上に大きな功績のあった業績に贈られる権威ある賞である。
その受賞の報に、村上館長は体が震えたと言う。そして、「体が震えるような感動を体験してみろ!」と若者たちを鼓舞する。
お話を伺った後、クラゲレストランでクラゲ定食をいただいた。その箸袋には『くらげの教え』と題する村上館長の言葉が記されている。「小は大を制す」という題名の一文は次のようなものだった。
クラゲ定食
「日本には今、幾つ水族館があるのか?と問われても正確には答えられない。はっきりしているのは協会に加盟しているのが68ということである。その中で最も規模が小さく古いのがここである。しかし、クラゲのお蔭でほかでは得られない素晴らしい感動を与える事が出来るようになった。100億円以上も掛けて建てた大きな水族館とどっこい競えるではないか。」
庄内のこの小さな水族館には、迷走する日本の進路を指し示すヒントがたくさん詰まっている。
2014年オープン予定の新水族館鳥瞰図