第55話 100年ながいきホーム・しあわせの家

 千葉県にある介護施設の現場を訪ねてきた。JR茂原駅に降り立つと、吉村真佐子さんが出迎えてくれた。吉村さんは早稲田大学ビジネススクールの卒業生で、現在は複数の介護事業を営んでいる。
 私は福祉や介護に関する専門的知見がほとんどない。高齢化社会の中で、介護の現場、福祉の現場をこの目で見て、この耳で聞くのはとても貴重な経験となった。
 まず最初に訪れたのは、「100年ながいきホーム」。2010年にオープンした住宅型有料老人ホームだ。もともとはヤマハ音楽教室をやっていたという平屋を、9室の老人ホームに改装した。改装費用は3千万円。500万円近いスプリンクラーなど初期投資の負担はきわめて大きい。

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100年ながいきホーム


 オープンと同時に満室となった。入居者のほとんどは男性で、平均年齢は70歳代。最高齢は96歳。要介護度の平均は2.8.全員が生活保護受給者だ。
 「100年ながいき倶楽部」というデイサービス施設を併設していて、昼間はここで過ごす。私が訪ねた時は、20歳の若い男性職員が中心となって風船を使って入居者の皆さんと交流していた。
 20歳という若い職員は、福祉の現場では何物にも代えがたい貴重な存在だ。孫のような職員と接することはそれだけで無上の喜びだ。

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             エントランス                            個室

 職員数は13人。常勤4人、パート9人の体制だ。20歳という若い職員はいるものの、職員の平均年齢は52歳。看護士はおらず、往診で対応してもらっている。看護士不足は深刻で、時給2千円でも見つからないという。
 30年近い福祉介護の経験を持つ管理統括者の荒井隆行さん、そして飲食業で接客・サービスの経験のある松並秀年さんらが中心となって、現場を支えている。「1日何の事故もないと心からホッとする。医療的な変化を見落とさないことがなにより大事」と荒井さんは教えてくれた。
 保証金に数千万円が必要で、医療や介護も完備、食事もなだ万などという豪華な老人ホームもあるが、ここはそうではない。入居金は敷金10万円、事務手数料10万円の計20万円。月額利用料は賃料、食費、光熱費込みでわずか10万円だ。
 この価格設定はきわめて良心的であり、破格だ。月額利用料とは別に洗濯代、診療同行、通院介助などの名目などでオプション料金を請求する施設が多い中で、「100年ながいきホーム」は医療費、おむつ代など以外はオプション料金がかからない。
 しかも、料理は3食すべて手作り。美味しい食事を、ひとり一人の病状、体調に合わせて提供している。食事を外注しているところも多く、中には10人分を外注し、一人当たりの量を減らして、15人分に分けて出すなどという悪徳老人ホームも中にはあるという。安定経営と心のこもった福祉を両立させるのはけっして綺麗事ではないが、「100年ながいきホーム」は現場の知恵と努力で乗り越えようとしている。
 施設の中では、色々なものが「見える化」されている。時間表や割振表などに加えて、入居者に関するきめ細かな情報を共有するためのボードが設置されている。

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見える化ボード

 たとえば、入居者の野崎さんに関する情報では「マグミット中止 月・木夕食後プルゼンド1錠に変更」と記載されている。ミスをなくすには、職員同士の引き継ぎ、情報共有を完璧にすることがなにより大切だ。

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 調理場の食器棚や引き出しにも写真付きの「見える化」が工夫されていて、整理整頓が行き届いている。こうした当たり前のことが当たり前のように行えることが、現場力の土台だ。

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              キッチンにおける「見える化」

 さらにユニークなのは、「聞こえる化」という「100年ながいきホーム」ならではの工夫だ。「聞こえる音によって何が起きているのかが分かるようにしよう」と、聞こえる音にそれぞれ意味が込められている。たとえば、「小鳥の鳴き声」は右側のトイレが使用中、「犬の鳴き声」は左側のトイレが使用中と定められている。


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 また、玄関音は「ピーポー」、玄関内側は「3連音」、玄関の外側は「学校チャイム音」と設定されている。これによって、徘徊を未然に防ぐことができる。常に問題と向き合っている現場ならではの工夫だ。
 デイサービスを行うスペースは調理場とつながっていて、調理場から料理中の匂いが漂ってくる。これは「匂う化」だ。デイサービスを受けながら、美味しそうな匂いが漂ってくるのは、入居者の大きな楽しみだ。
 「見える化」だけでなく、「聞こえる化」「匂う化」など現場ならではの知恵を絞り、五感をフルに活用して、コストを抑えながら質の高い介護サービスを提供しようとしている。
 ニチイ学館などの大手業者に加え、大手の病院が多角化の一環で老人ホームを経営するケースが増えている。入院患者を囲い込み、診療と介護の一貫提供を行い、経営安定化に結びつけようという狙いだ。顧客の取り合いは激化している。
 「100年ながいきホーム」でも老人ホームをもう1軒建てたいと考えているが、適当な物件を見つけるのは容易ではない。改装工事費の負担も大きなボトルネックだ。「100年ながいきホーム」のような小規模ならではの心のこもった「家」を増やすためには、障害や制約がまだまだ多い。
 吉村さんの運転で、大網白里市の「しあわせの家」に向かった。ここは認知症高齢者型グループホームで、2000年に開設された。現在は男性4名、女性5名の計9名が共同生活を行っている。要介護度は2。年齢は72歳から90歳。平均年齢は80歳。

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                        しあわせの家


 東金市にも「東金しあわせの家」を運営しており、そちらでは6名が入居している。計15名の内、生活保護受給者は7名。
 大網白里の職員数は統括管理者の濱手光洋さんをはじめ16名。24時間体制で食事、入浴、排泄、清掃、外出、レクリエーションなどのケアを行っている。認知症を患い、アパートでの一人暮らしが困難になった高齢者をどうするかを家族が行政に相談し、「しあわせの家」に辿り着く人が多い。
 月額利用料は11万円。部屋代4万、食事代4万、管理費1.5万円、水道光熱費1.5万円という内訳だ。
 施設は建て増しを何度も行ってきたので、けっしてスムーズな動線とは言えないが、階段の昇り降りなど「ある程度の不便さ」は生活リハビリとして必要なのだと言う。グループホームはあくまでも共同で生活をする「家」でなくてはならない。
 しかし、グループホームの運営は綺麗事ではすまない。職員の過酷な勤務状況、虐待、安全対策などがしばしば問題となる。2006年には長崎で、2010年には札幌で火災が発生し、それぞれ7人が亡くなるという惨事が相次いだ。
 それによって、収容人数が縮小されたり、スプリンクラーの設置基準が厳しくなった。スプリンクラーには補助金が出るが、設置が義務化された防火壁には補助金が付かないなど制度上のちぐはぐさも否定できない。
 「しあわせの家」でも「見える化」は徹底されている。入居者別に「服薬あり」「服薬済み」が一目で分かるようなボードが設置され、情報共有も工夫されている。ここでも現場の知恵が運営に大いに活かされている。

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                        見える化ボード

 掲げられた理念には「私達の目指す理念は、地域のお年寄りが最期まで安心して暮らすことのできるグループホームの運営に努め、常に更なる進化に挑戦し続けることです。」とある。そして、経営目標として「お客様の満足・しあわせを目指そう!」「職員の満足・しあわせを目指そう!」「会社の満足・しあわせを目指そう!」と掲げられている。

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                         理念と経営目標


 超高齢化社会を迎える日本。それを支える福祉の現場の知恵と懸命の努力は貴重で、尊い。しかし、それを支える制度やインフラの整備、そしてなにより福祉や介護に対する社会の理解が進まなければ、現場は疲弊するばかりだ。
 「家」にこだわる「100年ながいきホーム」「しあわせの家」のような小規模だけどとても温かい福祉施設が増えることこそが、日本の新たな豊かさの証明なのだ。
 
 
















訪問先

100年ながいきホーム/しあわせの家

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