第59話 中外製薬工業宇都宮工場

 中外製薬の主力生産拠点である宇都宮工場を訪ねてきた。JR宇都宮駅から車で約20分。清原工業団地の中にある。

59 中外製薬1.jpg工場外観


 この工場の操業開始は1990年。日本初の本格的なバイオ医薬品「エポジン」(腎性貧血治療剤)の生産拠点として設立された。
 中外製薬は宇都宮以外に浮間(東京都北区)と藤枝に工場を持つ。浮間は1957年に操業を開始し、製薬開発と一体となった生産拠点と位置付けられている。藤枝は1971年に操業を開始し、原薬生産、固形剤の生産を担当している。これら3つの生産拠点は、2006年に中外製薬工業として本体から分離された。
 中外製薬は2002年にスイスの大手医薬品メーカー、エフ・ホフマン・ラ・ロシュと戦略的提携を結び、ロシュグループの傘下に入った。その相乗効果もあり、足元の業績は好調だ。
 宇都宮工場の敷地面積は約37000坪。それぞれの役割を担った9つの建屋が林立しているが、その中央は長さ330メートルのメインルートでつながっている。その場に立ってみると、300メートルを超える直線距離の長さに驚く。
 9つの建屋がバラバラではなく、ひとつの道でつながっているのは、物理的にも精神的にも一体感をもたらす。それぞれの製造現場は完全分離、遮閉され、外からガラス窓越しに様子を見ることができる。
 社員数約350名、契約社員約100名、計約450名の陣容だ。労働集約的な生産ではないので、製造現場に人影はほとんどない。無菌状態が必須である製薬の現場において、一番汚れているのは人。人を滅菌することはできず、人こそが安全面の最大のリスクである。
 だから、人をできるだけ介在させない仕組みを構築し、機能させることが、医薬品製造の生命線だ。そのためにこそ、人の知恵がいる。
 東日本大震災の際には、壁の剥離、配管のダメージなど大きな損傷を受けた。あまり報道はされないが、栃木県における大震災の被害はけっして軽微ではない。
 しかし、命をつなぐ医薬品の生産拠点が生産、出荷を止めるわけにはいかない。現場の必死の頑張りで3ヶ月で復旧させた。建物が傾いてしまった事務・品質管理棟は2012年に建て直された。
 宇都宮工場は世界最高レベルのバイオ医薬品の生産拠点として、極めて重要な役割を担っている。「エポジン」以外の主な生産品目は、国内初の抗体医薬品であり、関節リウマチなどに効く「アクテムラ」、癌の化学療法における好中球減少症に効果のある「ノイトロジン」、狭心症治療剤「シグマート」などである。
 「エポジン」は日本のみであるが、「アクテムラ」「ノイトロジン」「シグマート」は海外へ輸出されている。主力製品である「アクテムラ」は欧州、米国など世界90ヶ国以上に販売供給されている。
 宇都宮工場の生産拠点としての独自性・強みは次の2点に集約される。
 ひとつ目は、注射剤(シリンジ)を生産していることだ。注射剤はバレル、ティップキャップ、ルアーロックアダプター、ブランジャーストッパー、バックストップ、ブランジャーロッドという6つのパーツから構成されていて、それらを組み立てるというプロセスが不可欠である。固形剤などの生産に比べると、生産プロセスの複雑度は高い。


59 中外製薬2.jpg薬の充填行程

 しかもそれを無菌状態の中で行わなければならない。宇都宮工場ではこの注射剤生産を世界最高クラスの速度で行っている。卓越した生産技術力がなければ、容易には実現できない。
 二つ目の独自性は、バイオ原体を製造していることだ。原体から製剤、包装までの一貫生産を行っているのが宇都宮工場の強みだ。
 バイオ医薬品の生産においては、種細胞からどれだけ培養できるかどうかが鍵を握る。その重要なプロセスを宇都宮工場は担っている。
 バイオ原体製造棟には国内最大規模の10000リットルの培養槽が8基ある。その設備を見ると、小規模の化学プラントのようだ。不純物を取り除き、抗体の純度を高めるカラムクロマト工程などに中外ならではの独自ノウハウが蓄積されている。

59 中外製薬3.jpgバイオ原体の培養工程

 医薬品の製造はFDA(アメリカ食品医薬品局:Food and Drug Administration)など各国政府機関の認証が不可欠である。そのための定期的な査察が行われる。宇都宮工場はFDAからも「世界でもトップクラス」とのお墨付きをもらうほどの工場だ。
 そのベースとして、展開されているのが「QCDSM」活動だ。Quality、Cost、Delivery、Safety・Environment、Moral・Moraleの5つの要素が、生産における普遍的なキーワードとして挙げられ、それらを高める地に足の着いた地道な活動が展開されている。「凡事徹底」こそ現場力の根幹だ。
 各部署の活動目標が掲げられ、その取り組みの進捗管理を行う管理ボードや改善事例の取り組みなどが掲示されている。やりっぱなしにせず、愚直にPDCAサイクルを回し、日々改善しようとする姿勢が伝わってくる。
 また、マルチスキル化を狙った「スキルマップ表」も掲示されている。個々の熟練度評価は、自己評価ではなく、360度評価で客観的に行われる。地味ではあるが、現場力を高めるためには、こうした人づくりの取り組みを定着させることが不可欠だ。
 私はこれまでにも医薬品製造の現場を複数個所見てきた。そのほとんどは設備投資には熱心だが、人への投資という意味ではお手本になるような取り組みを見ることはできなかった。
 宇都宮工場は注射剤生産、バイオ原体生産という独自の生産ノウハウを確立し、医薬品業界において「生産で差別化を実現する」というきわめて稀な事例だ。効率性、安全性という両面から徹底した自動化、省人化を進め、極力人に頼らない生産システムの確立に挑戦し、成果を上げてきた。
 そして「QCDS」という4つの側面の更なるレベルアップを実現するために、人のやる気(Morale)を高め、引き出すための取り組みを加速させようとしている。「人に頼らない」ということは、「人を活かす」ということだ。
 多能工化、ナレッジワーカー化は日本におけるものづくりの共通課題である。「知恵を生む現場」でなければ、日本でものづくりを行う意義はない。
 日本の医薬品メーカーが世界で存在感を高めるためには、生産における独自性を磨き、差別化要素にまで高める努力が欠かせない。宇都宮工場はその先兵として独自の道を切り拓こうとしている。




訪問先

中外製薬工業宇都宮工場

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