今回は知多半島の東岸に位置する中部電力武豊火力発電所(以下、武豊)を訪ねてきた。政府の浜岡原発停止要請を中部電力が受託し、この古びた発電所が急遽表舞台に登場。現場の必死の努力で、中部地方における大規模停電などの危機を回避させている。
武豊の1号機が運転を開始したのは、1966年8月。その1号機は2002年3月末をもって廃止された。
2号機、3号機、4号機は1972年に順次運転を開始。運転開始から既に40年を超えている。最大出力は3機合計で112.5万kW。
武豊は日本の高度成長を支えてきた発電所だ。1970年代後半には年間発電電力量は80億kWh近くまで達し、中部電力の基幹発電所のひとつとして大きな働きをした。
しかし、石油火力である武豊の役割は徐々に低くなっていく。安価な石炭や高効率LNGへと主役が移っていく中で、武豊の発電量は激減した。
ここ10年ほどは、昼間の需要のピークにのみ運転するという「ピーク火力」という位置付けに変わっていった。ボイラーに点火するものの、タービン起動前に運転を取り止めるという「空振り」も少なくない状況が続いていた。
それが、浜岡の停止を受けて、急遽「緊急登板」することになったのである。2011年当時の、設備年齢は「39歳」。これは人間で言えば、米寿(88歳)か卒寿(90歳)相当だと言う。
お話を伺った永崎重文所長はこう譬える。「野球で言えば、体力の限界から二軍のベンチに座っていた選手が一軍に呼び戻され、浜岡という主軸選手の代わりに踏ん張れと言われたようなもの」。
しかし、「待ったなし」の状況である。「中部の地に電気をお届けする気持ち」で1日でも早く復旧させようと、現場の取り組みが始まった。
一番の難題は2号機の復旧だった。2号機の最終運転は2009年7月。それ以来、約2年間運転を停止したままだ。
設備や機械類は運転が停まったままだと劣化が進む。それは発電所も同様だ。2号機は外から見ても腐食が進み、運転再開が難問であることは誰の目にも明らかだった。
こうした事態に対処するためには、運転経験のあるベテランを集めるしかない。永崎所長はこう譬える。「車で言えば、マニュアル車。オートマチック限定免許では運転できない」。
政府による浜岡停止要請は5月6日。中部電力が受諾を表明したのは5月9日。そして、その翌日5月10日に第一陣が招集された。
最終的には、約20名の運転要員、保守要員が集結した。夏のピークである8月までにはなんとか運転可能な状態に戻したいと7月下旬が目標と定められた。与えられた猶予はわずか2ヶ月半だった。
設備の劣化は想像を超えていた。雨水の浸透で錆が発生。それがもとでダクトなどに穴が開いていた。駆動用シリンダーなど可動する設備にも錆が発生し、固着して動かなくなっている。
交換が必要な電気部品も保守部品が既に製造されておらず、手に入らない。修理できるメーカーを探して、既存部品をなんとか流用するしかなかった。
2号機の現場を視察させていただいたが、設備の外観はまさにボロボロだ。腐食が進み、とても現役の設備とは思えない。ところどころにパッチワークのような修理が施されている。
どこに穴が開いているのかを探し当てるためには、ボイラーの中側に入り込み、見つけ出さなければならない。そして、どの箇所を修復するかの判断も重要だ。すべてを修復している時間はない。適切な優先順位を判断するには、ベテランならではの経験が求められる。
現場の必死の努力で、7月27日タービンを起動するところまでこぎつけた。しかし、そこで思いもよらない事態が発生した。車でいう「ラジエーター」にあたる油冷却器に錆が詰まり、閉塞してしまったのである。さすがの永崎所長も「目の前が真っ暗になった」と洩らす。
直ちに点検をすると、油冷却器の細管が完全に錆で埋まっていた。これは力技で乗り切るしかない。人力作業による油冷却器の錆取りに必死で取り組んだ。
そうした苦難の果てに、2号機の運転停止は解除された。7月31日23:48のことだった。
武豊の2~4号機は、2011年の夏以降「登板回数」(発電日数)が増えている。2011年9月は計21日(前年の2010年は8日)。12月は26日(前年は1日)。2012年2月は43日(前年は5日)。
ボロボロになりながら必死に稼働している2号機も、2011年度は、復旧後23日、2012年度は22日、そして2013年度は私が発電所を訪れた8月9日までに4日稼働している。(さらに訪れた以降は、関西電力、九州電力への応援電力供給のため、両社が今夏の最大電力を記録したお盆明けの8月19日の週は5日間連続運転をしたとのこと。)
永崎所長がポツリと言った言葉が忘れられない。「なんとか17時までもってくれ!と毎日祈っている」。
老旧化した設備に命を吹き込み、再稼働させるのは現場の知恵と汗、そして電力マンとしての誇りである。原発事故という不幸な状況の中にあって、大規模停電を回避し、社会の安定を保っている裏には、電力会社の現場力があることを忘れてはならない。
武豊火力発電所に併設されている「メガソーラーたけとよ」も見学させていただいた。これは当初予定されていた5号機用の敷地を利用した事業用太陽光発電所である。2011年10月に運転を開始した。
言うまでもなく、太陽光発電はCO2を出さない再生可能エネルギーのひとつである。ナゴヤドーム3個分の14万平米の敷地に、約3万9千枚の太陽光パネルが設置されている。発電出力は7500kW。年間発電電力量は730万kWhだ。
しかし、その実力は社会インフラとしてはまだまだ弱い。730万kWhという電力量は、武豊の2~4号機であればわずか6時間半で発電してしまう量だ。
現在の実力で言えば、太陽光は「補完」にはなっても「代替」にはなりえない。永崎所長はこう指摘する。「期待の新人だけど、まだ力不足」。
日本のエネルギー問題は、現実と理想の狭間で揺れている。未来を議論するためには、足元の現実を直視することが必要だ。その一方で、現実だけに引っ張られない未来志向も求められる。そこには、時間軸という概念も必要だ。IdealismとPragmatismという二項対立のままでは、永遠に答えは見つからない。