第66話 株式会社シェリール

 岩手県陸前高田市にあるシェリールを訪ねてきた。婦人下着を製造する社員60名ほどの会社だ。


65 シェリール (1).jpg全景

 シェリールは埼玉県秩父市に本社を置く島崎株式会社の系列会社だ。島崎の設立は1953年。創立者の嶋崎義孝氏によって織物業を営む島崎織物として出発し、その後メリヤスの婦人肌着などを製造する会社に変遷した
 企画から生産までを一貫して行うインナーファッションメーカーとして業容を拡大してきた。相手先ブランドによる生産が90%を占めるが、2007年には自社ブランド『Fleep』の販売を開始した。
 『Fleep』は「Free」と「Sleep」を合わせた造語。柔らかな天然素材を使用し、敏感肌やアトピーに悩む人でも安心して着用できる商品として今売り出し中である。下着にこだわざるをえない人にはとても好評だ。
 しかし、こうした下着類の生産は労働集約的であり、安価な労働力を求めて海外シフトが進んできた。日本で売られている商品のなんと97%は輸入品である。Made in Japanの下着はわずか3%にすぎない。
 中国からの輸入は全体の80%を占める。しかし、近年、チャイナリスクを考慮して、ミャンマーやカンボジア、バングラデシュなどへのシフトも加速している。
 そうした流れの中で、島崎も1995年にベトナムに進出。現在はベトナム、中国で生産を行っている。
 海外生産が「当たり前」と思われている中で、奮闘するのがシェリールだ。シェリールの設立は1989年。秩父地方での人手確保に悩んでいた前社長の嶋崎洋子氏の友人が陸前高田にいたことが縁となって、島崎の国内工場としてスタートした。10年前には島崎本社の製造部門を廃止し、シェリールに集約した。
 シェリールとはフランス語で「愛する」「いつくしむ」という意味を持つ。「すべて"愛"でつつみこみましょう」というのがシェリールの理念だ。

65 シェリール (2).jpgシェリールの理念


 シェリールの最大の特徴は、付加価値、品質の高い「Made in Japan」の商品をフレキシブルに生産できる現場力にある。月に2万枚ほどの下着を生産するが、その品種は50種類にも上る。多品種少ロットに対応できるのがシェリールの最大の強みだ。
 その源泉は20年以上の経験を有する熟練工のスキルだ。シェリールの設立と同時に入社した社員が経験を積み、卓越した技能でこだわりのものづくりを行う。
 付加価値の高い製品は細かく、手間がかかる。工程数は通常の商品の倍近い。素材も多様だ。人間の手でしか対応できないきめ細やかな商品をつくるためには、現場力が不可欠だ。
 こうした現場力を活かすために、ものづくりの流し方にも工夫を凝らしている。それは「ボックス管理」という生産手法だ。

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ボックスが移動する

 同じ商品を大量に生産するには、ライン生産が効率的だが、多品種少量生産を行うには固定したラインは却って非効率だ。そのため、シェリールでは「ミシンと人を固定」させ、一人ひとりの負荷を見ながら、仕掛品の方を柔軟に動かす。どんな商品にでも対応できる高いスキルを持った社員がいなければ対応できない生産方式だ。
 生産現場は3班に分かれている。各班10人程度で構成されている。約110台のミシンが設置されている。

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ミシンなどが並ぶ現場

 この「ボックス管理」を効率的に回すためには、現場のリーダーの取り回しがとても重要だ。社員一人ひとりのスキル・負荷とこれから生産する商品の品種・数量の両方を頭に入れながら、最適なマッチングを常に行う必要がある。
 これだけの高い現場力を活かすためには、他社の差別化を踏まえたブランドのポジショニング、商品設計やデザイン、マーケティングも含めた「戦略」がとても重要だ。「戦略」と「現場力」は経営の両輪だ。
 「戦略を練り、それを実行するために必要な現場力を構築する」と考えるのが一般的だが、「今存在する現場力を活かしうる戦略を練る」というアプローチは現場力を備えた企業にしかできない。シェリールにはそれが可能な現場力が備わっている。そして、その現場力は空洞化してしまった日本の下着業界では希少だ。
 さらに、現場力から生まれる「Made in Japan」の価値をブランディングとして効果的に訴求することも大事だ。商品の機能的価値を訴求するだけでなく、消費者の情緒性に訴える手法も確立する必要がある。
 単なる事実を淡々と伝えるのではなく、「なぜ『Fleep』なのか?」「なぜ日本でのものづくりにこだわるのか?」をストーリーに仕立て上げ、効果的に訴える継続的努力が不可欠だ。
 シェリールは東日本大震災の被災地・陸前高田に立地する。会社自体は高台にあるため、津波の直接的被害は免れ、社員も全員無事だった。
 しかし、震災後1ヶ月間は避難所として使われ、工場を稼働することはできなかった。しかし、外部からの「早く再開したほうがいい」というアドバイスもあり、現社長の嶋崎博之氏は4月16日の操業再開を決断した。
 納めなければならない仕事も抱えており、自然災害とはいえ一旦仕事が途切れると戻ってこないのではというリスクも感じていた。「こんなときだからこそ取引先の期待に応えなければならない」と前進を決めた。
 縫製工場というと、昔の「女工哀史」のイメージがどうしてもつきまとう。小学校などの廃校を利用したり、裏口から入るなど古臭く、過酷で劣悪な労働環境を想起させる。しかし、シェリールには三陸の明るい陽射しが差し込む。

65 シェリール (7).jpg5Sと報連相の徹底

 約60名の社員のうち、男性はわずか3人のみ。一般には「男尊女卑」と言われるが、嶋崎社長は「うちは女尊男卑」と笑う。
 女性の力を活かした現場力で日本のものづくりを元気にするお手本として、シェリールはさらなる進化を遂げようとしている。








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