第72話 日本金属工業衣浦製造所

 名古屋から約40km。愛知県碧南市にある日本金属工業衣浦製造所を訪ねてきた。
 臨海工業地帯の海に面した一番奥まで車を走らせると、オールステンレスでできたピカピカに輝く工場群が出現する。老朽化が進み、古びた建屋が多くなった日本のモノづくりの現場としては異色だ。


72 日金工1 (1).jpg全景


 日金工は「日本で最初にステンレス鋼の国産化に成功した会社」として業界では知られている。衣浦製造所は日金工のシンボルであり、ステンレスを世に知らしめるための「ショールーム・ファクトリー」でもある。
 会社の設立は1932年。ステンレスの専業メーカーとしてその地歩を固めてきたが、大きな環境変化に対応するために2012年、日新製鋼との経営統合を決断した。
 ステンレスは「Stain」(汚れ)「less」(ない)の意味。「汚れにくい」「錆びにくい」特徴を持ち、屋外や湿気のある場所での構造物、厨房設備、鉄道車両などに使われている。
 しかし、国内需要はリーマンショック以降低迷しており、加えて韓国などからの安価な外国材が増えており、競争も激化している。原材料やエネルギーコストも高騰しており、収益を確保するのは容易ではない。
 さらに、中国における生産が急拡大しており、世界的に供給過剰(オーバーキャパシティ)の状況が続いている。2011年の世界全体の生産量は3200万トン。その内、中国が1260万トンと40%を占めている。
 2005年には中国の生産量は320万トンにすぎなかったから、わずか6年で4倍に膨らんでいる。中国でステンレスを生産しているメーカーは50社以上。中には1社で300万トンを生産する企業もあるという。
 供給過剰、規模の論理の前では、専業メーカーが単独で生き残りを図るのは困難と言わざるをえない。欧州ではかつて30社ほどあったステンレスメーカーが3社に、米国でも2社に集約されていると言う。
 衣浦製造所が設立されたのは1972年。現在の敷地面積は約65万?。東京ドーム14個分だ。
 日金工は以前、神奈川県相模原市にも事業所を持っていたが、段階的に衣浦に移管。今では本社機能も含め、衣浦に集約している。現在の陣容はグループ会社、協力会社を含め約1060名。
 衣浦製造所のこれまでの最大の売りは、製鋼‐熱延‐冷延の一貫工場であることだった。二ッケル、クローム、鉄などの原料を70トン電気炉で溶解し、連続鋳造する。それを熱延工場で熱間圧延し、ホットコイルやプレート材にする。そして、冷延工場で多種多様なステンレス鋼に加工する。
 工場間の輸送は、構内鉄道のような搬送台車で自動搬送される。環境対策も含め、コンパクトな一貫生産体制は、かつてはモデル製造所として高い評価を受けた。
 しかし、ステンレスを含めた鉄鋼事業が益々規模化、コモディティ化の様相を呈し、これまでのビジネスモデルのままでは生き残っていけない状況となってしまっている。
 日新製鋼との経営統合により、衣浦製造所も大きな曲がり角を迎えている。月産3万4千トンほどのキャパシティを持つ製鋼工程は、2年後を目途に日新製鋼の主力事業所である周南製鋼所へ移管される。

72 日金工1 (2).jpg製鋼工場


 ここのところの衣浦の製鋼生産量はキャパシティの半分程度。これでは経済合理性を確保するのは難しい。経営統合とは事業や現場の大胆な再編のことであり、未来に向けての新たなビジネスモデルの構築を意味している。
 これにより、衣浦製造所は熱延と冷延という「下流工程」に特化した製造所としてその独自性を磨いていくというミッションを担うことになる。その実現の道のりはけっして容易ではないが、その萌芽はある。


72 日金工1 (3).jpg熱延工場

72 日金工1 (4).jpg冷延工場


 たとえば、そのひとつが「極薄高品質ステンレス」だ。ボタン電池やバネ材、注射針などに使われる高付加価値ステンレスは、高い技術力と現場力がなくては実現できない日本ならではのプレミアム製品だ。
 大きな規模こそ見込めないが、その付加価値は高い。その鍵は新たな用途開発、需要開発を如何に行うかにかかっている。そのためには、泥臭い顧客密着力、顧客の先回りをするソリューション提案力、問題解決力に磨きをかけることが必須だ。
 さらには、ステンレス鋼に限定せず、自動車部品などに使われる普通鋼の生産にも挑戦している。自動車王国である三河に位置するという「立地の価値」は、間違いなく衣浦製造所の強みのひとつだ。
 それを最大限に活かすためには、「自分たちがつくれるものをつくる」のではなく、「需要のあるものをつくる」という柔軟性を磨くことが求められる。日新製鋼との経営統合により、新たな需要、新たな販路へアクセスできるのも大きなメリットのひとつだ。
 経営統合によるシナジーを徹底的に活用すると共に、専業メーカーとして培ってきた小回りのよさ、コンパクトさを、「ダントツ」と呼べるほどのレベルにまで究める。「何でもやってみる!」というファイティング・スピリットこそが、道を切り拓くためには不可欠だ。
 並大抵の努力では、日本にモノづくりは残らない。ましてや、規模の論理が成否を決する素材産業では、「非凡な現場」に変身しない限りモノづくりは日本から消えていく。「体格」競争が激化する中で、「体質」で勝負する力を更に高めなくてはならない。
 新たな経営の枠組みの中で、新たなミッションを担う衣浦製造所が新たな道を切り拓けるかどうか。衣浦製造所のチャレンジは日本の素材産業の針路でもある。
 




訪問先

日本金属工業衣浦製造所

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