2011年5月16日、東北新幹線くりこま高原駅でレンタカーをした私は、398号線をひたすら東へと走った。その行先は南三陸町。宮城県北東部にある太平洋に面した町である。
3月11日の東日本大震災による大津波の直撃を受け、壊滅的な被害を蒙った町だ。あれから2ヶ月後、南三陸町はどうなっているのか、この眼で確かめたかったのだ。
南三陸町は2005年に志津川町と歌津町が合併してできた。人口17666人、世帯数5362(23年2月末)。今回の大震災によって、死者は500人以上、行方不明者700人以上を数え、7千人以上の町民が避難生活を余儀なくされている。
私自身、これまでに気仙沼や女川には出向いたことがあったが、南三陸町に行ったことはなかった。しかし、被災直後の佐藤仁町長のコメントを聞いて、私は震えるほど感動した。自身が津波にのまれながらも、奇跡的な生還をはたした佐藤町長はこう語った。
「起きてしまったことはしようがない。この現実から逃れられません。でも、後ろは向きたくない。私が前を見なかったら、町民のみなさんも前を見られない。前を見るしかないんです」
そんな町長が率いる町、愛する町はどんなところなのか。惨憺たる状況であることは分かっているが、どうしても足を運んでみたかったのだ。
栗原市から登米市を抜ける。のどかな田園風景が広がるが、道のあちこちが痛んでおり、瓦屋根をブルーシートで被う家も多い。津波の直撃はなかったものの、この辺りも被災地であることは同じである。
くりこま高原駅から約1時間。新水界トンネルを抜けると、南三陸町に入る。しばらくは山あいの初夏の新緑がまばゆい道が続くが、行き交う車の中に災害派遣というプレートをつけた自衛隊の車両が増え始める。
そして、海辺の町へ下りる緩やかな坂道に入った途端、様相は一変する。周りは高い木立ちに囲まれているにもかかわらず、突如、道の左右にがれきの山が出現する。波に押し潰され、放置された自動車もいたるところに、無残な姿を晒している。
町へ入るとそこはがれきの山
後から分かるのだが、その辺りは海辺から内陸に数キロ入った地点である。それほど奥まで津波は押し寄せてきたのだ。1960年のチリ地震による津波の到達地点をはるかに超えているという。
しかし、その光景は所詮、南三陸町の被災の全容の欠片にすぎなかった。坂道を下り続けると、壊滅した合同庁舎の建物が見るも無残な状況を晒し、そこから先は一面焼け野原のような惨状だった。
津波に襲われた合同庁舎
ここかしこに、がれきの山。自動車の残骸。そして、骨組みだけになった建物。あるのはそれだけ。震災直後に比べると、がれきが道端に寄せられ、かろうじて主要道路が確保されているが、少し脇にはいると、まったくの手つかずのところも多い。全壊したアパートの前には、がれきがうず高く積まれ、放置されている。
壊滅したアパート群
骨組だけとなった建物の解体は急ピッチで行われている。しかし、まだ手付かずの建物も数多く残っている。
骨組みだけとなった建物
訪れた翌日の河北新報には、「がれき撤去足踏み」の記事。南三陸町だけで64.5万トンものがれきを処理しなくてはならないが、その処理の進行はわずか5%。「復興」という言葉が虚しい。
ドラッグストアらしき看板がかろうじて読める店の前で、私は車を降りた。ベンツが押し潰されて、放置されている。エンブレムが哀しい。360度見渡しても見えるのは、がれきと建物の残骸だけ。聞こえてくるのは、遠くで解体をする重機の音と飛び交うかもめの鳴き声だけ。ただ呆然と、立ち尽くすしかなかった。南三陸町という町は、根こそぎ津波にのみこまれ、一瞬にして跡形もなく消えてしまった。
ドラッグストアとベンツ
さらに車を進め、応急的に復旧させた橋を渡り、海岸線に近づく。水溜まりなのか海なのか判別のつかない地域に、いくつもの商店や建物の残骸が無残な姿を晒している。おそらくにぎやかなところだったのだろう。でも、ここが風光明媚な南三陸町の中心街であることを示すものは何も残っていない。根こそぎ倒れた大木や中がむき出しになった電信柱が倒れている。
海岸沿いの様子
海の方に目をやると、遠目にも全壊していることが分かる数棟のアパートや海の設備が見える。反対側に目をやると、空洞になった3階建ての建物。その屋上にはあるはずのない乗用車が鎮座している。
病院 ショッピングモール 郵便局
道を行き交うのは、自衛隊の車両とがれき処理のトラックばかり。東北電力の作業員が、電気の復旧に向けて作業しているが、いつになったら回復できるのか目途は立っていない。電気だけでなく、水道もガスも止まったままだ。
避難所に立ち寄った帰りがけに、合同庁舎近くの空き地に寄ってみると、そこには自衛隊員やがれきの撤去にあたっている人たちが、がれきの山から見つけ出した被災者の方々の大事なものが寄せ集められていた。アルバム、ランドセル、卒業証書、位牌・・・。
がれきの山から集められた大切なもの
本当にこの町は復興できるのか。現実を目の当たりにすると、心が大きく揺らぐ。これだけ広範囲の被災から立ち直るのにどれだけの時間がかかるのか。産業を回復させ、雇用を生み出すことができるのか。未来を担う若者たちは町を去ってしまわないか。色々な疑問が頭の中をグルグルと回る。あまりにも残酷な現実は、安易な楽観論を許さない。
しかし、だからこそ佐藤町長がふり絞った言葉はあまりにも重い。「前を向くしかない」。絶望や疑念から未来が生まれることはない。この残酷な現実に打ち克つためには、希望と再生を信じる気持ちを持ち続けるしかない。
復興の道のりは、長く、遠い。国が、そして国民ひとり一人が何をすべきかは、これからが問われる。風化は許されない。